アカポスに就けない人の特徴〜今のアカポスには何が求められているのか〜

団塊ジュニア世代が40歳前後になり、普通であれば准教授になっていて、さらに
早い人は教授になりはじめている。一方、同世代でいまだポスドク助教で苦しんでいる人たちも大勢いる。

企業では、団塊ジュニア世代が課長へとなっている年齢だが、なかなか課長になれない人が多いという記事を
前々回、「「8割は准教授にさえなれません」と「7割は課長にさえなれません」」で書いたことの反応として、
課長になれないのは富士通の様な大企業だけだ、、、という反応もあったが必ずしもそうではない。
例えば、下記の本にも「課長になれない」という文句が謳われている。

課長になれない人の特徴 (PHP新書)

課長になれない人の特徴 (PHP新書)

現代の企業は組織のスリム化と称して管理職の数を減らしており、
部下つきの課長になるのは簡単なことではない。

そして課長になれない人の特徴として、

<課長になれない人の特徴>
■仕事がつらそう 
■飲み屋で仕事の話をする 
■上司の指示に忠実に従う 
■我が身を守って逃げ道を作る 
■自らのプレゼンテーションに酔う 
■時間を守らない etc.

など30の「残念キャリアの行動パターン」が示されている。
これらは「印象論」であるように思えるが、本質をついているような行動もあるようだ。




さて、本題のアカポス(大学教員、公的機関の研究員等)の現状であるが、

現代の大学は少子化や国立大学の法人化、運営交付金の削減、任期制の導入、
テニュアトラック制などで、任期のない教員ポストの数を減らしており、
任期のない、個室のある大学教員になるのは簡単なことではない。

とでもなろうか。そして、そのような厳しい状況で、
アカポス(任期なし)に就けない人の特徴」とはなんだろうか?「残念キャリアの行動パターン」などあるだろうか?

ポスドクなのに就職活動をしていない。
■論文が少ない。
■共著論文が少ない。
■学会発表はするが、論文が出ていない。
■学会で全く質問しない。
■ボスが偉いのを自分が偉いと勘違いしている。
■一カ所で長いことポスドク助教をしている。
■出身大学でポスドク助教をしている。
都落ちを嫌う。
私大、地方大学の助教ポストは眼中にない。

など、少し考えてみると、思いつくがどうだろうか。



例えば、最後に書いた「私大、地方大学の助教は眼中にない。」というのは、
twitterで話題になっていた「医学生物学研究者のための総合ポータルサイト」の記事
にもある。

大学院時代の恩師から某私大の助手(今で言う助教)のポストがあいているとの打診があった。
しかし当時は、自分はそんなチャチなところに行くべき人間ではない、
と即断をして、その助け舟には乗らなかった。

と、環境の良いラボで学生・ポスドクをしていると、このような勘違いをしてしまう。


実際にアカポス(任期なし)に就けていないポスドクと話をしていて一番感じるのは
ポスドクなのに就職活動をしていない(もしくは応募数がすごく少ない)」ということである。
危機感の欠如である。
ポスドクは2年や3年という任期がある。そして、確実に任期が切れる。
もちろん、ポスドクの間に成果を挙げた後に出ている公募を探す、、、というのがもっともらしいかも
しれない。しかし、募集研究分野が自分に適合したアカポス(任期なし)の公募は5年〜10年に一つあるかないかという可能性だってある。
チャンスは逃してはならないのである。目的と手段を混同してはならない。
ポスドクの間は、すぐれた成果を挙げるのも、公募に応募してポスト(任期なし)を得るためである。
しかし、そもそも公募に応募しなければアカポス(任期なし)を得ることは殆どできない。

tenure:「いつアカポス(任期なし)に応募するの?」
とあるPD:「もう少し業績が出てから。任期も1年と少し残ってるし、、」
tenure:「はぁ!?今でしょっ!!(そして教授をめざせ!)」

科学者として生き残る方法

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